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兄さん。
兄さん。大好き。
346.境界
「弟離れしたまえ」
イーストシティ、東方司令部。
エドワード専用の書庫となりつつある資料室にいきなり現れたロイは、ドアを閉めるなりそう言った。
「は?」
資料室は民間人立入禁止のため、アルフォンスはいない。
機械鎧の右腕に何冊も本を抱えたエドワードが、思わずといったふうに振り返った。
「二人きりの兄弟とはいえ、君もアルフォンスもお互いに対して過保護だと思わないか?」
「…んなことねぇよ」
急にそんなことを言い出したロイの意図が読めないため、エドワードの否定には力より不安の色が強い。
一方のロイは腕を組み、本を見繕う作業に戻ったロイを苛立たしげに目で追った。
「当人に判断がつくか。君たちは少し距離を取ったほうがいい」
お互いが感情を投げつける会話は二人の距離を縮めない。先に痺れを切らしたのはエドワードだった。
「たとえそうだとしても、大佐に指図される筋合いはねぇ!」
そこからは売り言葉に買い言葉だ。
「…どうしても従わないと?」
「何度も言わせんな」
「まったく、頑固者め」
「そっちこそ!」
ドアの前に立つロイに肩をぶつけるようにして、エドワードは資料室を飛び出した。
「なぁ、アル」
パンを千切る手を止め、エドワードがアルフォンスを見た。
「何?」
「…俺って過保護だと思うか?」
「何だよ、突然」
食事中だから、とエドワードから取り上げた本の頁を捲る手が止まった。
エドワードは「別に」と視線を逸らしたが、どうせロイ絡みだろうとアルフォンスは推測する。
―――もしアルフォンスが先程の会話を聞いていたら、ロイが彼にしては珍しいことに嫉妬心からそう言い出したことも、それに気付かないエドワードに苛立ったことも理解できただろう。
エドワードはロイとアルフォンスが並んだら、大抵の場合後者を優先する。
恋人との束の間の逢瀬より四六時中一緒にいる弟との宿泊を選ばれては、面白いはずがない。
「過保護って…そんなことないと思うけど」
細かい事情までは知る由もないのだが、大体のあたりをつけたアルフォンスは不機嫌な兄を宥めにかかる。
正直に言えば、少しだけ過保護だと思っているのだけれど。
普段は自分が世話を焼いているけれど、本当に深刻な場面ではエドワードに―――
(助けられてばっかりだもんなぁ)
兄だからと言ってしまえばそれまでかもしれないが、自分だってもう子どもではない。エドワードを―――好きな人を守りたいという気持ちも、信頼されたいというプライドもある。けれど、肝心のエドワードはそれに気付くことはなくて―――
「だよなっ」
アルフォンスに支持され、エドワードが大きく頷いた。
ミルクを垂らしたコーヒーのように乱れる感情を抑え、アルフォンスも声のトーンを上げる。
「どっちかって言うと、面倒見てるのは僕の方だよね」
「なっ、誰も面倒見てくれなんて頼んでないだろ!そう、アルが過保護なんだ!」
アルフォンスを指差し、自分がだらしない訳ではないと言外に主張するエドワードは心なしか得意げな様子だ。
もうお腹を出して寝ていても毛布を掛けてやらないぞ、と一時の決意をしながらアルフォンスはゆっくりと答えた。
「僕だって、過保護なつもりはないけどね」
そう、過保護なつもりはない。
過保護というより、多分これは執着だ。
エドワードは、喪失の後悔と決意の責任から。
アルフォンスはそれに加えて、エドワードへの恋慕から。
互いに己を縛り、囲いあっている。
この執着をこそ、ロイは嫌がったのだろうけど。
(でも、僕には…)
血と執着の絆は、ロイが持てない自分だけの関係性だから。
健全でないと解っていても、この繋がりは実の兄を好きになってしまった自分に必要で、だから正す気はない。
(無意味な抵抗だって、解ってるけど)
間違いはいつか正される。
エドワードはいつか、ロイのもとに行ってしまう。
アルフォンスは、一人分の料理と二人分のグラスが置かれた白いテーブルに心の中で線を引いた。
x軸がエドワード。y軸がロイ。
y=1/xのグラフがアルフォンスだ。
見えない曲線を目で辿る。
1/2、1/3、1/5、1/10、1/100…。想像上のグラフはテーブルの端から零れて落ち、消えた。
「アル?」
何もない地面を見つめるアルフォンスの顔をエドワードが下から覗き込む。
「あ、ごめん。ぼーっとしてた」
二本の軸は0で交わる。けれど―――
「兄さん。兄さんは、ずっと僕の兄さんだよね?」
「当たり前だろ。何言ってんだ」
「そうだよね。えへへ、ゴメン」
エドワードの即答は嬉しかったけれど、同時に胸も痛んだ。
自分は永遠に0に近づき続けていくけれど、決してエドワードとは重ならないのだ。
神様。
どこにもいない神様。
願わくはもう少しだけ、兄さんの瞳に、僕を映していてください。
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