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*酔い* 11/365
「さあ京極、選べ!!」
机の上には二本の瓶。胴に巻かれたラベルにはそれぞれ榎木津の奔放な筆跡で「酒」「水」と書いてある。電話から戻った京極堂は障子を閉めた姿勢のまま目を閉じて嘆息した。
「…悪戯が過ぎるよ、榎さん。どちらも酒だろう」
あっさりと見破られてしまった榎木津は半眼になって唇を尖らせる。
「お前は矢ッ張り詰まらん。関を見ろ!!まんまと引ッ掛かって当に猿だ!!」
榎木津の言葉通り、耳まで赤くなった関口が机に伏していた。こんな子供騙しの企みなど、せめて飲む前には気付いてもよさそうなものだが、そこが関口が関口足る所以なのである。
「僕がほんのちょっと離れた隙に何やってるんですか。酒盛りするなら木場修でも益田君でもいるでしょう」
至極全うな指摘だったが天衣無縫の榎木津には通じない。
「そんな豆腐や馬鹿オロカは知らん!!」
「全く…」
定位置に腰を下ろし、京極堂は溜息を吐いた。言っても聞かない榎木津に対してはそれ位しかすることがないのだ。
「京極堂…君…」
聞き慣れた京極堂の溜息に反応したのか関口が芋虫のように蠢いた。 起き上がった目はいつも以上に虚ろで、頭もふらふら危なっかしく揺れている。誰もがその危うさに眉をひそめてしまうような様態の関口は焦点がずれた両瞳で京極堂を見上げた。
「君は…酷い!!」
脈絡のない糾弾に、京極堂は無言で片眉を上げるに止める。関口は呂律の怪しい舌で喋り続けた。
「鳥口君や木場修には優しいのに、日頃の僕に対する扱いは何だい?もっと優しくしてくれてもいいじゃないかぁ…」
――別段泣き上戸でも無い筈だが。京極堂は唇だけで呟いた。関口の弱さといったら泣く暇も無いのである。正しくは、泣く暇も無く呑まされ続け何か言う暇も無く潰されるということだが。
「おい関!!下僕猿が労働争議とは100年、否365年早いぞ!!」
「榎さんは黙ってて下さい」
大喜びでまぜっ返す榎木津を京極堂は少しの苛立ちとともに制した。
(面倒臭い)
黙って寝ていれば飽きた榎木津が帰ったものを。今すぐ関口が再昏倒してくれないかとありえないとも言えないことを願う。
そんな京極堂の思いとは裏腹に、酒精に取り憑かれた関口の精神は益々昂揚していくようだった。
「京極堂、君聞いているのかい!?」
「聞いてるよ」
「ハイは一回だと言ってるだろう!!」
「……君の方こそ聞いちゃいない。全く何で飲ませたんです」
どうやら関口の眼中に入っていないらしい榎木津は顎をつんと上げ、無意味に胸まで張って言い放つ。
「神が決めたら運命だ。下僕は逆らわず唯従うのみだ!!」
「……どの位飲んだんです」
「たったのコップ一杯だぞ。根性が無い猿だなぁ!!」
役目を終えた瓶をぐびぐびと空ける榎木津が本気でこう言っているという事実に激しい脱力感を感じながら、京極堂は無駄な足掻きを試みる。
「そんなことはアンタも既知でしょうに。
これで僕は関口を酔いが覚めるまで置いておかなくちゃいけないんですよ」
「僕はそれで構わんぞ!!酔猿を届けられても雪ちゃんが困るだけだ!!」
「はぁ…」
「京極、君…迷惑かい…?」
疎ましがられている雰囲気に気付いたのか、ややいつもの状態に戻った関口が瞳を潤ませた。
迷惑かどうかと尋かれたら無論答えは決まっている。
「此処は飲み屋じゃないんだ。動けるなら帰ってくれ」
京極堂の突き放すような物言いに、関口はより一層眉尻を下げた。
「ごめん、京極堂…でも…」
関口の左目から一粒涙がこぼれ、ぱたりと音を立てて関口の膝頭に染みを作る。
「どんなに酷くされたって、遠ざけられたっていいから…頼むから…嫌いにならないでくれ」
その掠れた囁きに、榎木津と京極堂の動きが止まった。
「…おい、京極」
関口に視線を固定したまま榎木津が京極堂を呼んだ。京極堂も微動だにせず応える。
「何です、榎さん」
「また関が馬鹿なことを言ってるぞ」
「そうですね」
関口の言葉がただの懇願などではないことを、京極堂も榎木津もよく知っていた。関口が涙まで浮かべて要求するのは、肯定か否定でなく、受容か排斥でなく、憐憫か偽善でなく、安穏たる現状維持。
ただ、このままでいたい、と。
彼岸のドアノブに手を掛けながらこちらを振り返り、榎木津と京極堂の胸の内を――きっと知らないままに――生殺しともいえる『お願い』を突き付ける。
だが、理不尽なそれに従ってしまう程には、二人にとって失いたくない存在であるのだ。
「嫌いになどなるものか」
榎木津の言葉にまったく同感だった。嫌いになど、なる筈がない。
関口は言うだけ言って、いつのまにか寝入ってしまっている。答えさえ要らないのだ、この急っかちで早合点で一人よがりの、廿年も付合ってきた知人は。
「――猿が寝ちゃったんじゃもう詰まらない。僕は帰るッ!!今夜は自棄酒だ!!」
「矢っ張り呑むんじゃないか」
気が抜けたように榎木津は再び騒ぎだし、京極堂はようやく読みかけの本に手を伸ばした。
二人の口元には共通の笑みが浮かんでいる。
呆れと愛重が混じり合った、注意しなければ気付けないほどの微かなものだ。
いつもの調子で頁に指を滑らせながら、京極堂は記憶を手繰った。
(この前は、いつだったかな)
時折思い出したように、関口はこの問いを繰り返す。
そして、答えは決して聞かない。
それは自分の望む結果を引き出し続ける為の、どうしようもなく弱い関口が無意識に使う、酷く消極的な策略なのかもしれなかった。
ふと手を止めた京極堂は、関口には見せたことがない柔らかな微笑を浮かべ、感嘆するように呟いた。
たった一言で自分と、そして榎木津を捉え続ける関口に。
「まったく君は手のかかる知人だよ」
終
関口君最強説。
Kgd
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