310.予告者


中禅寺が寮室のドアを開けると、榎木津が畳に寝転がっていた。

「榎さん?」

「遅いぞ!どこをほっつき歩いてたんだ!」

 中禅寺は部屋の真ん中で大の字になっている榎木津を避け、自分の机に重い鞄を置いた。

「委員会ですよ。先輩はサボっていたようですがね」

「あんなモノ、時間の無駄だ!」

 どこ吹く風で榎木津は狭い部屋の中をゴロゴロと転がる。

「そんなことより、関口はどうしたんです?」

 先に帰っていた筈ですが、という問いに榎木津は寝転んだまま中禅寺を見上げ、逆様の顔で飄々と答える。

「関は神のお使いだ」

 中禅寺の無表情が憂色に歪む。

「…もう日が暮れます。どこに遣ったんですか」

 無駄と知りながらも、傾いた光の中にその姿を見つけようと窓の外に目を凝らす中禅寺。榎木津はその様子に眉根を上げる。片手をついて起き上がり、中禅寺を睨んだ。

「心配性だなお前は。いつでもどこでも関、関、関だ!」

鋭く細められた鳶色の瞳が長めの前髪を透かして中禅寺を射る。

「彼が危なっかしくて見ちゃいられないだけです」

 即座に反駁した中禅寺だったが、その表情には苦々しげな色が微かに滲んでいる。
言葉をどう取り繕おうとも、自らの想いを榎木津に隠すことはできないと中禅寺は知っていた。
 学生服も相俟って逆光に黒く染まる中禅寺と夕陽に透き通る榎木津が、しばしお互いの胸の内を探り合う。

先に緊張を解いたのは榎木津だった。

「―――お前はいつか、関を泣かす」

「…先輩が『視る』のは過去だけでしょう?」

 普段関口には見せないようにしている鋭さで中禅寺を牽制する榎木津に、中禅寺はいつも通り温度を感じさせない声で応じる。
 自分と関口の関係はこれが最良のものであると中禅寺は考えていたし、今更切り離すことなどできないという確信もあった―――榎木津が、別のやり方で関口を幸せにしようとしていることを知っていても。

「凡人は神に任せておけばいいんだ」

 この頑固者め、とぼやいた榎木津が不意に立ち上がる。

「猿が戻ってくるからボクも帰る。じゃあな」

「あ」

 榎木津は風のようにいなくなり、中禅寺は今の遣り取りが何だったのか考えながら、ひとまずガタがきている雨戸を閉めようと窓を開けた。
もう夜気となった風が部屋に吹き込む。するとその風に運ばれてきたように、関口がふらふらと姿を見せた。

「あ…中禅寺、帰ってきてたんだ」

「おかえり、関口君」

 学帽を脱いだ関口は探す程の広さもない部屋をきょろきょろと見回す。

「あれ…榎さんに会わなかったかい?」

「帰ったよ、とっくにね。君はまた、こんなに遅くまでどこに行っていたんだい」

 心なしか声に棘のある中禅寺だったが、関口はそれに気付くことなくのんびりと返す。

「どこって、そりゃあもうあちこちだよ…榎さんが自分の学ランを探して来いって…結局見つからないし、骨折り損だよ」

 そう言って関口は、榎木津と同じ場所に横になった。
 自分より榎木津を選ばれたようで、中禅寺の眉間の皺が深くなる。

『お前はいつか、関を泣かす』
『神に任せておけばいいんだ』

 リフレインされる榎木津の言葉。

「…知ったことか」

「え?」

 低い呟きを拾えなかった関口が目を開け、中禅寺を仰ぎ見る。けれど頭上の電燈が眩しく、その表情はよく判らなかった。顔を顰める関口を中禅寺は一瞥し、さっさと部屋を出て行く。その際に電燈も消され、関口は慌てて身を起こす。

「晩飯を食い逃しても知らないぜ」

「わ、ま、待ってくれよ中禅寺!」

 暗順応によろつきながら後を追ってくる関口を待って、中禅寺は歩調を緩める。そうしながら心中で再び呟いた。

―――今更、手放すわけにはいかないさ。
―――僕は自分のやり方を貫く。
―――たとえそれが関口君を傷つけ、涙させるとしても…






学生時代。中禅寺、関口君に甘甘です。


kgd