「はぁ…」 幸せマイナス一つ。 溜息を吐くと幸せが逃げる言われてもなあ――真理だとは思うが――簡単には止められへんわ。 「はぁ…」 幸せマイナス二つ。 有栖がいるのは英都大学の学生食堂だ。安っぽい白の長テーブルの上には、近隣の大学でも美味しいと評判の日替わり390円定食。だらだらと摘んでいるが、もう残りは半分ほどになっている。 会いにきたと押し掛けるのは、自分だけが夢中になっているようで癪に障って。 だからさっさと研究室でも講義でも行けばいいのに、こんな中途半端な場所でぐずぐずと遇えることを期待している。 自分でも女々しいと思わないでもなかったが、溜息と同じくこういうものは制御がきかない。 食べ終わったら研究室に顔を出すか、と有栖が決心したその時、開け放たれた食堂の入り口から火村が現れたのだ。 まるでテレパシーでも通じたようで、有栖の鼓動が高鳴る。 「火む―――」 「火村先生!」 火村越しに響いた大声が、有栖の声を上書きした。 駆け寄ってきたセミロングの黒髪が綺麗な女性には有栖も見覚えがあった。 院生だったか誰かの助手だったかは忘れたが、火村の研究室に出入りしている…。 「火村先生!今度の論文で使う参考文献の事なんですけど…」 根っからの研究者タイプらしく、楽しくて仕方ないといった様子ではきはきと話す女性にどんな顔で応えているかは、火村が背を向けてしまったので伺えなかった。 いくらも経たないうちに、研究室か図書室か、場所を移して話すことになったらしい。火村と女性は食堂から出て行ってしまった。 ちらりと見えた火村の横顔は、女性につられたのか微笑を浮かべていて。 「…なんや。アホらし」 仕事場に仕事中に来られたら邪魔に決まってる、そんなことも分からなかったのか?と嘯いて。 有栖は冷え切った昼食のトレイを持って立ち上がった。 「締め切りは大丈夫なのか?」 相変わらず火村に愛想という二文字は存在しないらしい。 「お前に心配されんでも順風満帆や。元気にしとるかー、ウリ」 有栖が声を掛けると、瓜太郎は嬉しそうに背中の縞模様を波打たせてにゃあと鳴いた。 ――来てしまった。 有栖はそんな自分に内心で頭を掻き毟った。 結局、弱いのだ。 これではベタ惚れだと揶揄われても反論できない… 「悪かったな。昼間」 「!?」 火村の台詞を理解した瞬間、かぁっと頬が熱くなる。 「気付いてたんなら言え!」 投げつけた座布団を苦もなく捕まえた火村は、それを自分の胡坐の上に敷いた。 「アリス」 有栖が黙っていると、更に両腕を広げる。 「ほら、来いよ、アリス」 ――誰がそんなんで絆されるか! 尚も意地を張る有栖だったが、強引に引き寄せられると思わず火村が抱き締めやすいように身体を移動してしまう。 ――仕方ないやん!だって、 だって、本当は抱き締めて欲しいのだ。 「お前だけだぞ。ん?」 そんな有栖の心情などお見通しだというように、火村は猫撫で声でそう言いながらキスを雨のように降らせてくる。 「うっさい!」 せめてもの抵抗に目の前の肩を叩いたけれど、それすら嬉しそうに火村が笑うものだから。 ――ほんま、反論できひんやんか。 「知っとるわ…」